作家の浅田次郎はまだ無名の頃、あまたの小説家の中でも、とくに川端康成に憧れたという。
各地を転々と旅しながら、巧みな表現力を用い独自の世界観を創り出す川端を理想の人とし、
「かくありたし」と心に決めたらしい。
そんな話を、この方の背中を追いながらふと思い出す。
内田かつのり先生。
スーツケースを引き下げてあちらこちらと駆け廻る内田先生に、この日2週間ぶりにお会いした。
ウェア姿で大勢の前に立つ姿はすでに知れ渡っているので、あえて私服の後ろ姿を撮らせていただいた。
オシャレである。
前々からセンスがいいなとは思っていたが、この方の装いへのこだわりは、私の想像をはるかに越えていた。
「今朝巻いてきたマフラーがないんだけど、僕は何色のマフラーしてきた?」
知りません。
新幹線の時刻が迫るなか、路上でスーツケースを掘り起こし慌てておられる。
荷物の上の方にはそれらしきグレーのマフラーが入っているが、どうもそれではイケてないらしい。
「このシャツにグレーのマフラーをするはずがないんだよ!」
その姿があまりにも滑稽で、さっきまで講義をしていた先生だということを一瞬忘れてしまいそうだった。
けれどこのスーツケースには旅先用のいくつかのマフラー以外に、何かしらの骨模型を忍ばせていたりする。
生徒たちには身体の構造をリアルに感じさせ、さらには小説家顔負けの豊かな表現力で、
身体の内部という、私たちにとって遥かな未知の世界への想いを、みごとに膨らませてくれる。
私がもっとも尊敬する、身体のプロフェッショナルである。
この日もこれから京都に向かわれる。
私はここ2週間ほど、左の臀部から股関節にかけての筋肉を痛めていた。
日常生活にはさほど支障はないが、クラスをしている最中は時々ビリッーっと激痛が走る。
「先生、なんか最近ずっと、おしりの下の方が痛い...」
すると「もっと解剖学的に説明してみなよ!」とちょびっと
しかられた。
痛いのに...。お勉強はさっきの時間でもう終わったのに...。
私は口を一瞬とんがらせたが、このことをちゃんと説明するスキルは、ずっと前に教わっていたから
そう言われても仕方ない。
お医者さんでいえば、痛みの箇所を診たてる最初の問診にあたる部分というべきか。
「ダンダーサナは平気だけど、ダウンドッグすると痛みがマックスになる...」の伝え方で、
結局は先生に痛みの箇所を暗算して導いていただいたが、
”股関節を深く屈曲させると痛くて、そこにより内旋を加えるとさらに激痛が走る”くらいは
言えなければいけなかったと、後から反省しました、先生。。。
ヨガにはいくつかの流派があり、それぞれの決まった流儀や型がある。
ヨガインストラクターをしていると、「何ヨガを教えているの?」と、とてもよく聞かれる。
そんな質問をされるたび、一時は一つの流派を追求するべきかとも悩んだが、
流派をチョイスするんであっても、何故この型がいいのかと納得できる理屈が欲しかった。
自分で楽しむだけならいいが、人様に伝えるとなれば説明できる理屈がどうしても欲しかった。
そしてその欲求に答えてくれたのが、内田先生が伝えるヨガ解剖学だった。
ヨガはこれだけ世の中に広まり、そしてこれから始めようとする人もまだまだ増え続けるだろう。
そこには〇〇ヨガを習いたいという人もいれば、できれば健康でイキイキと過ごしたいという目的をもった人もいる。
入り口からして皆それぞれ違う。
インストラクターと受講する人との関係性も然り。
ヨガインストラクターは治療家ではないが、「肩こりや腰痛を治したい」と来た人とは、〇〇ヨガを習いに来た人とはまた違った関係性が生まれる。
”患者さん”ではないが、”生徒さん”とも違う。
そんな目的を果たしていただくには、なおさら身体のことをよく知っていなければならない。
診たてのスキルと、不調の箇所を特定する暗算能力はこれからはもっと必要不可欠となるだろう。
そして先生のヨガ解剖学は、鍼灸師という治療家のエッセンスも加わっている。
アジャストの意味、身体の触れ方、人への寄り添い方がそれだ。
「自分のお母さんだと思うんだよ〜優しく愛情を持つんだよ〜」と先生はおっしゃる。
さらに先生のヨガ解剖学はそれだけにとどまらない。
身体の構造を覗き込むことができれば、アーサナを上達させたい、もっと効率よく柔軟性を高めたいと願う、ひとりひとりの可能性を引き出すツールともなる。
そこには理屈があるから、難しいアーサナをトライするのに、わざわざ遠回りをする必要はない。
私が、ピジョンやアームバランスといったアドバンスのアーサナの類いが、内田先生に出逢ってからあっという間にできるようになったことが何よりの証だ。
曖昧さのない理にかなった内田先生のヨガ解剖学はひとつのジャンルだ。
けれどそこからは、人の身体の数だけ寄り添うすべが生まれてくる。
ヨガをする理由は人の数だけあり、擦った揉んだを乗り越えてきた人生の数だけある。
だから目指す頂上への道のりは人それぞれあっていい。
けれど最後に観下ろす美しい景色は皆同じ。
なんとも自由で、クリエイティブで、魅力的だ。
私にとって流派の追求はどうでもよくなった。それだけで十分だと思えるようになった。
未だ謎だらけのヒトの身体に魅了されはじめたら、とことん没頭してみたくなった。
浅田次郎の話を思い出した時、『眼鏡越しの空』という、20年くらい前に流行ったドリカムの歌のサビの部分が、頭の中で流れはじめた。
「その思いが力をくれる」
近くて遠い背中だけど、ひたすら追いかけさせていただく。
-Noriko-