「目の前の課題に取り組むために、精神が集中状態に入った時、もしもその強い平静を崩されそうになったならば、どんな感情が芽生えるでしょうか」
日曜日のベーシックのクラスの冒頭、こんな話をして、みんなでウッティタハスタ・パーダングシュタアーサナの完成を目指しました。
バランスを崩したからって大きな怪我をするわけではないけれど、慎重に安定感を探る、精神の静寂。
ピタッとアーサナが決まった時の、爽快感、誇らしさ。
ドリスティをサイドに移そうという私のナビが入った瞬間、グラグラとバランスを失い、脚をマットに降ろしてしまったときの、悔しさ。
そして再度完成を目指して、一から安定を探らなければいけない、焦り。
バランス系のアーサナが教えてくれることは、たくさんあります。
ある日の夕方、クラスを控えていた私は、自分の部屋で、シークエンスを考えていました。
どの筋肉から温めていって、柔軟性を引き出して、アーサナを完成させていったらいいか。
毎回私なりに真剣勝負をしていて、この時間は集中力も高まっています。
そんなとき、母が部屋にやってきて、私に向かって話をしはじめました。
母「今日は何時に仕事終わるの?」
私「10時。」
母「遅くなるからって、ちゃんと食べないとからだ壊すよ。」
私「はい。」
母「税理士さんから手紙来てるよ。」
私「うん。」
母「あんたいつも、あれどこいった?って聞くんだから、ちゃんとしまっておきなさいよ。それと...」
頼む...あとにして欲しい...。
私は母に聞こえるか聞こえないかの適当な相づちを打ったようです。すると、
母「聞こえてんだか聞こえてないんだか、返事くらいしろぉ!!!」
私「うん!って言ったでしょ!うるさいな〜!考え事してるんだから!!!」
母「人が心配して言ってるのに、まともな返事もできないのか〜!!!」
典型的な親子げんかです。親しい仲ほど、こんなことはよくあります。
まあ振り返ると、高まった集中から一旦外れても、また再度、その焦点にスッと戻ればいいだけの話なのですが。
集中から外れること自体に、不快を感じてしまったわけです。お母さん、ごめんなさい。
ただ、どちらが良い悪いと言う前に、この時の私の感覚、大事にしてもいいかな、ふとある出来事を思い出し、少々懺悔をしました。
もう何年も前の話ですが、「しばらく仕事で忙しいんだ」と言った遠くの彼に
「ちゃんとご飯食べてる?」なんてメールを送って、最初は心底心配していたんでしょうが、返事がないことで、次第に恩着せがましくなっていき、
「女ひとりも相手にできないで、仕事なんて偉そうに。」なんて、冷酷すぎるメールを送ったことを思い出して、いまさらどうでもいい後悔をしてみたのです。
彼はおそらく、女ひとりも相手にできないほどの、ものすごい集中力を必要としていたわけです。(きっと。)
ヨガ的には、『「ありがとう」の気持ちを大事にしましょう』と言うかもしれませんが、
母に対して「ありがとう」と言えなかった私、私に対して「ありがとう」と言えなかった彼は失格になりますね。
返事がないこと苛ついて、心に平静を保てなかった母も私も、失格になりますね。
本当でしょうか?
人の感情は、そうそうシンプルなものではありません。
冒頭の写真は、エーカ・パーダ・ガラバアーサナ。
集中状態にある人の、精神の安定、繊細な感情を受け入れる。
そんな優しさを教えてくれたのは、やっぱりバランス系ポーズ。
バランスポーズになると、無心でプラクティスしてまうのは、静寂、悔しさ、焦り、誇り...
いろんな感情に出会えるから、かもしれません。
- Noriko -