ある日の午後、テレビ番組で観た「母の日に贈りたいもの、贈られたいものランキング」。
子の立場からは、母の日にはカーネーションや、何かプレゼントを選んであげようなんて発想になるものだが、
母親たちは「手紙」(1位)、「お手伝い」(2位)と、物質的なものではなく、子供たちからの気持ちが嬉しいという答えを出していた。
その番組を一緒に観ていた私の母が、私が3歳のときに初めて「お手伝い」をしたことを話しはじめた。
自宅兼仕事場だった当時の我が家。ひとつ扉の向こうでは何人かの職人さんと私の両親が、毎晩10時、11時まで働いていることが当たり前だった。
そんなある日、ちいさな私は、毎日仕事が終わってから夕飯の用意をする母が帰ってくる前に、小さな手で米を研ぎ、ご飯を炊いたという。
届くはずのない水道の蛇口や炊飯器、椅子に登って作業をしたのだろうか。
当然水の分量なんてわかるはずもなく、炊きあがったご飯は、糊のようにべちゃべちゃの固まり。
それを母は「美味しい、美味しい」と言って、泣きながら食べたらしい。
私にはその記憶の破片すら残っていないが、聞いていて自分のことながら愛らしいく思えた。
私にも記憶に残っている「お手伝い」がある。同じ3歳くらいのことだと思う。
いつもの如く、夜遅くに戻ってくる両親を、何かして驚かせたいな〜と突然思いついたのが、家族4人分の布団敷きだった。
押し入れの2段目に高く積み重ねられた重たい敷き布団は、目一杯のつま先立ちをして、やっとの思いで引きずり降ろした。
シーツを被せ、毛布を敷き、綿布団を載せて、枕をセッティングするまでの作業は、どうしても両親には見せたくなかった。
「ありがとう」を言って欲しいのではなくて、6畳2間の狭い部屋に敷かれた寝床を目にした母の反応が楽しみだった。
いつ帰ってくるかわからない、ドキドキハラハラのミッション。
だから「ただいま〜」の声が聞こえると、私は敷いた布団にもぐって寝たふりをした。
「うわぁ〜!布団が敷いてある〜!!」
求めていたリアクション。大満足。
しかし私はひとつ失敗を犯した。寝たふりをしていたつもりなのに、あくびをしてしまったのだ。
父が「おい!こいつ、あくびしてるぞ!寝たふりしてるな!」
私はその時初めて、人は寝ている時にあくびはしなことを学んだ。
親孝行なんて言葉は知るはずもないけれど、母が喜んでくれること、それが私の喜びで、「お手伝い」は自分の心の底から沸き起こっていたものだからこそ、自分の喜びになった。
その反面、「のりちゃん、今日は遅くなるから、〇〇しておいてくれる?」なんて、先に頼まれちゃったりすると、お手伝いはまったく面白みをもたず、カラダが重たく感じた。
やろうと思っていたことを、先にお願いされちゃったときの悔しさと言ったら。。。
論語には、人間関係、仕事選び、いろんな悩みが生まれたら、その時の気持ちが、親孝行した時と同じ気持ちでいるかどうかを知るとよし、とある。
自分から発信される「何かをしよう」という気持ちがあってこそ喜びとなり、
誰かに頼まれて、あるいは指示されて動くことには何の喜びも感じない。
慈悲の心とか、ホスピタリティなんていう立派な言葉は時に私を悩ますが、
母が教えてくれた「お手伝い」の喜び...3歳の私が気づいたことは、間違いなく今仕事をする上でのベースとなっている。
- Noriko -