先日、久々の地方訪問となる博多に行ってまいりました。
天神という街のど真ん中にある警固神社にて、九州の皆さんとアナトミック骨盤ヨガ®に参加させていただきました。
過去に30回は受講している師匠のアナ骨で、おそらくもっとも優しいクラスだったかと思います。私のアナ骨でいうLevel0.5とほぼ同じスタイル。
九州の皆さん、気を悪くしないでください。かなりキツかったと思います。それがアナ骨。私はいつも通り汗だくでした。
いつも誰かに見られているという意識
言ってしまえばこの時、私はいくらでも手を抜くことは可能でした。
けれど、クラスを見守るふたりの男の視線が、私にそれをさせませんでした。
一人はもちろん、クラスを仕切る内田師匠。
そして終始カメラを向け続けていた、小倉・arugamamaのオーナー益本さん。
「膝の裏をゆるめた瞬間に、シャッターをきられたんじゃたまらない...」
そう思うと一瞬でも気を緩めるわけにはいきませんでした。
「第三の目」はすぐそばにある
ところで、東京都知事がある日の会見で連呼した、「第三の目」。
弁護士などの専門家による意見に委ねるという発言が誘ったのは、怒りを超えて嘲笑でした。
そもそも法律とか条例に反するか否かという前に、私が彼に問いかけるとするならば、
「あなた、その面下げて、近所を歩けるのか?」
もしくは、あなたの親はなんと思うか?
神様がいるとするならば、なんと言うか?
願わくば、この人にちょっとの想像力があってくれたならば、これほど汚れずには済んだだろうと思いたい。けれどもはや、それはお構いなしの類だろう。
いつも身近にある第三者の目を気にせずに、恥の概念というものがなくなったら、人はおしまい。
博多でやたらと長かった、ローランジのポジション。
いくらでもポーズから逃げることはできるし、
ズルをする術も知っています。
それでも、母親が見ていたらそんな私になんと言うか、あるいは神様という存在がいるとしたら、私になんと言うか...
諦め、逃げ道、ズル...
綺麗ごとを並べるのが上手だって、綺麗なままでいられないのが人間。そんな葛藤と戦う時間、ローランジ。
いつだってふと思い出す「第三の目」のおかげで、己を律することができるものです。