仕事への迷い。

子どもの頃「ピアノの先生になりたい!」と朝から晩まで練習した古びたピアノ。毎朝、母の脳トレ用になっています。

 

 

 

今の仕事が適職かと問われれば、適職かと思います。絶対的にな自信さえ誇れることもあります。

 

けれど、落ち込む日々が続くとき、この生きる場所が、自分にとってベストチョイスなのかどうかと問われれば、未だに答えに迷いが生まれます。心躍るステージは本当にここなのか、否かと。

 

 

小学生のとき「学研」という雑誌がありました。

 

”学研のおばさん”が届けに来るその本を、兄は隅から隅まで読み漁っていたそうですが、私は活字はいつも読まず仕舞い、付録だけが唯一の楽しみでした。

 

 

親という人間は、子供の目の輝き、指差す方向、手にするもの、興味や関心、生活動作から我が子の才能を探そうとし、将来とリンクできたらと先回りしてくれます。

 

小さな玩具を与えては、どう興味を示すか...

外の世界に連れ出しては、何に目を輝かせるか...

習い事をさせては、どこまで芽が伸びるか...などと。

 

それらをきっかけに、やがて本人の自発的な「これがしたい」という意思が加わります。習い事の継続や部活動を選択し、あるいは進学に向けて塾に通う。

親はその時の我が子の情熱に火を灯し続けようと、命をかけるかのように応援します。お金の工面をし、時には面倒でもあろう親同士のお付き合いをしながら、忙しい仕事や家事がありながら子供を応援してくれる、すごい人たちです。

 

学校に通わせるだけでどれほど大変か、子どもは大人になってからそれを知ります。

 

 

 

 

今の私が、自分の才能を活かしているのか、いずれ才能が開花するその途中経過なのか、答えは分かりません。

 

あの頃、両親が私の才能探しに費やした時間やお金とが、直接的に結びついているとは、残念ながら言えません。

 

けれど、私だけに向けてくれた眼差しには、絶対に裏切ることはできないから、迷いながらも心躍るステージを作っていかなければいけないのです。

 

 

今回も手探りで作った秋冬用のフライヤー。

「1mmの狂いもなく、身体を制御しよう」と書きましたが、図形の配置が2mmもずれてる所が2箇所ありました。

 

この仕事は向いてないですね...

 

2mmが気持ち悪いと思うか、2mmくらいどうでもいいじゃんと思うかでも、人生に大きな違いがありそうですがね...。