青山一丁目駅の銀座線ホームへの通路は、カンカン娘でも口ずさみたくなるくらい古い、狭い、薄暗い、いい意味でレトロ。
「明日のパレードの参列者を受け入れるキャパシティーが果たしてあるのか」と余計な心配をしてみた2019年11月9日の深夜の駅で
26年前の母との思い出が蘇りました。
1993年6月9日。
私は母と、その数日前から皇太子様と雅子さまのご成婚パレードに行くことを約束をしていました。
しかし当日朝は雨。混み合うだろうからと相当早起きしましたが、雨だとオープンカーにはお乗りにならないと聞いていたので、予定を変更し
「城南電気のセールに行こう。」ということになりました。
城南電気とは、宮路社長という年老いたダミ声のじーさんで有名になった電気屋。ご成婚をお祝いして、かつてないセールを早朝からやる!とテレビでじーさんが言っていたので、買いたいものがあるわけではないのに、でも掘り出し物を探そうと、その店があった吉祥寺まで朝から出かけました。
けれど行ってみれば、どこにでもあるようなセール価格。9時近くには一通りフロアを回り、拍子抜けした私たちが「もう帰ろう。」となって店を出ると、空には晴れ間が差していました。
「このまま四ツ谷にならすぐに出れるね!」となり、急いで中央線に乗り、パレードコースとなっていた四ツ谷駅前の新宿通りを目指しました。
が、なんと。四ツ谷に着けども、改札から出られないほどの、あふれ返る人ども!無事に駅の外に出られたはものの、目の前にあるはずの新宿通りすら確かめることができない...
人混みをすり抜けるように、迎賓館から東宮御所までのパレードコースで、なんとか二人分の隙間を見つけようと必死でしたが、なかなか見当たらず。パレードが始まったことを、皇居上空からみるみるこちらへ迫ってくるヘリコプターが伝えてきました。
間に合わない!お母さん、あそこの木に登ろう!
やって良いんだか悪いんだか、私たちが登ってみたのは、学習院初等科の隣にある見附公園の木。
けどパレードコースとは若干離れていて、しかも必死で登った私の木の目の前には、その他のたくさんの木が生い茂っていました...
その隙間から、お車が見えたとしても、ほんの一瞬。
そして母は、下の方にある枝が落とされた切り口に、ほんの片足だけかけている程度。
「お母さん!そこじゃみえないよ!」
ヘリコプターの音が爆音と化してきたその時、瞬きも許されないその瞬間、木々の隙間を通り過ぎていった、白いドレス。「あ!」
「見えた?見えたの?」と、もはや早々から諦めていたらしい母は、私を見上げて喜びの瞬間を共有しようとしていたらしく、私はその一瞬の”ほんのちょっと”を、親指と人差し指で2mmの隙間を作って母に返しました。
先日の御即位祝賀のパレードの際、念のため事前に母に尋ねました。
「リベンジしたかったら、スケジュール調整するよ!」と。
けれど母、「もうさすがにあの人ごみを歩く体力はないかなぁ」と。
なので今回は、おとなしくテレビで見ることにしました。
「1年早いですね〜」「もう12月かぁ!」と時の経過を惜しむ決まりゼリフが飛び交う年の瀬ですが、そんなことを繰り返し重ね、人はあっという間に歳をとっているようです。
自分が歳をとることに、後悔の感情をのせることはあまりありませんが、その間同時に、周りの人間も歳をとっていたかと思うと、あの時を大事にしておけばよかったなぁ、と湧いてくる後悔は数え切れないかも。
それはまた、数年後の自分が、「あの時」に思いを馳せるのは、今の自分だったりして。数年後の自分が、今の自分にどんなアドバイスをするかと想像してみたら、今をもっと充足させられるかな。
ちなみに。私と母がテレビの前で吐いた後悔は、「あの時、城南電気に行かなきゃよかったね。」でした。
そんなこと、今の私に知る由もなしですが。26年後に母がこんなに歳をとってるって、あの時は考えもしなかったな。