今年に入ってブログを一度も更新していない理由は、コロナの対応にてんてこ舞いの非常事態のほかに
1月初めからの父の入院、転院、さらに転院という、非日常の連続の方が大きな理由でありました。
お酒が大好きな父にはいずれ訪れるとわかっていた肝硬変。
食事が喉を通らないくせに、アルコールは飲み放題。かかりつけ医は「お酒を控えてください。」としか言わないからと通院も拒み、
「食べなきゃ力がつかないよ」!と言う母に「おんなじ事ばかりうるせぇな。」と当たる厄介者が、
救急車で運ばれたと知った時、強制的に医者に診てもらえるのと、母の負担が減ることで、正直かなりホッとしました。
ここには書けない醜態も様々あり、人は人生の最後に近づくと、残される人を悲しませないために、わざと嫌われようとするものか?とさえ思いました。
それが最後の愛情表現であるならば、なんと憎い計らいなのか。
入院中は案の定、運動機能と認知機能の低下が著しく、この3ヶ月で別人のように変わり果てていきました。
自業自得だ!と思う傍で、
酒しか楽しみがないほどに家族を支えてきたことを思い出し
介護施設に手当たり次第問い合わせをする傍で、
父が建てた家で平和に暮らす虚しさが溢れ
母のため!と心を鬼にする傍で、
父の冬物の毛布を畳みながら母が流した涙が胸に刺さり
限られた面会の度に呆けた父と会話にならない会話をするため息の傍で、
家に帰れば逞しく豪快な父の思い出ばかりが蘇る。
転院か、在宅復帰か。
相反する心の振れ幅から、どちらがいいのかとベストなチョイスを選ぶにも
「<」マークをつけて解決できるほど単純なものでもなく、
答えを導き出せないまま昨日、入院期限を迎えた地域包括ケア病棟から、療養型の病院に転院することになりました。
ナースステーションにいた15人ほどの看護師さんすべてが、忙しいはずの仕事の手を止め、
エレベーターに乗ろうとする父の周りに集まってきてくれました。
何度も夜中に徘徊し転倒し、頭を何針も縫うことを繰り返した相変わらずの厄介者を、
「絶対元気になってね!」と涙を流して見送ってくれました。
その光景に驚く私に看護師さんたちが、「いつも私が出すお茶を”上手いウィスキーやなぁ〜”って飲んでくれてたんですよ〜。」とか
「僕のこと”佐川の兄ちゃん!”って言って、僕が鍛えていることをいつも褒めてくれて...」とか、
確かに昔っから、人への気遣いには長けていた父でありました。
この人は結局、わざと人に嫌われることなんて無理なようだ。どうしたらそんな風に人に好かれるんですか?
私の車を伴走した介護タクシーのガラス越しに覗く、大きな背中が私に問いかけさせる。
あなたが現役の商売人であったならば、この難事も「人に好かれてなんぼやで〜!」と、そうやって乗り越えるのでしょうね。
ありがとう、その憎い計らい。ずっとずっと、覚えておきます。