恭敬、内田眞子様。

 

 

貴方様に最後にお会いしたのは、旅立たれる前の日の夜でした。

 

息子様は少しばかり呼吸が早い肩を「頑張った、頑張ったねー」と、優しく撫でておられました。手櫛で髪を解いておられました。

 

 

8年前のあの日から、歩くことも、話すことも、食べることも、生きる喜びのすべてを奪われてしまった、貴方様。

 

その境目となるあの日に、傍にいる事ができなかった息子様は、今日まで悔やみ続けておりました。

西へと向かう新幹線の車内から、もう一度病院へ行ってくれ!と、誤診に間違いない!と叫ぶ息子様

脳梗塞の前兆であることが明らかな辿々しい口元で、それでも息子の長引く風邪を心配する貴方様

 

翌朝「やっぱり母ちゃんが倒れてしまった」と

あと1時間後に講座が始まる息子様から、心配なくらいの泣き声で電話を受けました。

 

 

 

面会のたびに「ごめんね」と鼻を赤くし謝る息子様に「後悔など無用」と言わんばかりに首を振り、

あの日の息子に後悔はさせまいと、圧倒されるほどの強い眼差しだけで、生きる意思を示されていらっしゃいました。 

 

その鋭さはそれは年月を経ても変わらず、あの日から数えて7回目の春に、

初めてお会いすることが叶った、私の母からも聞かされておりました。

 

 

私たちが置かれるyogaの世界では

「心と体のつながり」などと言う月並みな言葉が、意味もなく飛び交います。

 

確かに私たちは

ちょっとのことで気分を害せば、体も鉛のように重くもなります。 

ちょっとの体の痛みさえ、気分を落ち込ませます。

 

 

 

私たちの毎日は、イェスかノーかの選択肢で溢れています。

続けるのか、諦めるのか

立ち向かうのか、逃げるのかは無論

 

練習しようか、明日に流すか

今夜はご飯を作ろうか、出来合いで済まそうか

もう少し仕事をしようか、一杯飲んで寝ようか

 

 

そんな些細なことさえ、心や体は、互いがどちらかを引きずり

時に微笑むことさえ虚しくなるはずなのに。

  

私がお会いしに行った時、こんなにも笑みを浮かべてくれる貴方様がいらっしゃいました。

 

 

 

「いかなる不条理にもYesを選べ。その強さを鍛えろ。」

 

私が出会ったヨガの中で唯一

その鍛錬をさせてくれたのが息子様です。

それは貴方様譲りのスピリットであり、哲学であったことを思い知らされました。

 

 

 

その一方で、息子様には、誰にも計り知れない、それはそれは大きな葛藤があったように思えます。 

 

Yesを訴える貴方様の背中側で

これでいいのか、あなたを楽にして差し上げたほうがいいのか。

 

 

貴方様のあの眼差しを知らない者たちに 

その正解を選ぶ権利などありません。 

  

 

ただ、1つ、私が知っている息子様は、いつだって

Yesを選ぶ者たちには、

言葉にならないその意思を確かめ

荒れた呼吸に耳を澄ましながら

それでもYes!と両腕を振りかざす限り、Yesを選ばせてくれるのです。

 

私たちも息子様だからと安心して、Yes!と叫ぶことができるのです。

 

 

そして不思議とちょうど、すべての力を出し切ったところで

「頑張った、頑張ったね!」と

息子様は肩を叩いてくれるのです。 

私たちはいつも、その安堵と賞賛に包まれながら静か眠りにつくのです。

 

 

 

お亡骸になられた後も、最期の夜と同じように息子様はずっと声をかけ、肩をさすり、髪を撫でられておられました。 

優しい微笑みを浮かべられているあなた様は、どこか誇らしくも見え、

弔問に訪れた人たちが口々に、「呼吸をしているようだね」と言っていました。

 

Yesを選んだあなた様と、誰よりも近くでYesを見守り続けた息子様。

長い月日、言葉のない、阿吽の呼吸だけで成り立っていた親子の会話を、

大好きだったテレビのあるいつもの部屋に戻られて、あともう少しだけ、交わされたかったのでしょう。

  

 

 

今日からまた日常が戻ろうとしています。

早速小さな選択肢が差し出されます。 

 

No.を選ぶことが多かった毎日を、悔い改めようと思います。

毎日の選択肢、貴方様のように、いかなるものにもYesを選んでいきます。

息子様が伝承するヨガには、まさしく貴方様の血が受け継がれていることを、伝えてまいります。

 

 

ですがその一方で、どこか私にも時折、

Yesを選ぶ人々に、目を背けたくなる瞬間があるのです。

引きずられない決意の面々には常に険しさが伴い、見るに堪えかね、心に迷いが生じるのです。 

その迷いがイタズラすれば、険しかった面々には不満の表情が残るのです。

 

 

息子様には「人を診ろ」と教えられます。

背中側での葛藤の日々は、貴方様に、天寿を全うしたと誇りを持って逝っていただく

息子様だからできた見届け方だったと思います。

 

 

疲れた体を癒す毎日のお風呂が最高のご褒美だったお母様に、

最後の親孝行にと、息子様は湯灌の儀式を望まれました。 

どこか気持ちよさそうにお見受けするその微笑みは、

息子様だけには、長かった年月に正解を告げられているようで、

風邪を心配された時と同じように、お母様の最後の優しさと受け取りました。

 

 

 

どうかどうか、安らかにお眠りください。

 

 

あなかしこ